2010-11-19 第176回国会 参議院 予算委員会 第7号
そして、覇権とか覇道、王道の孫文の演説も御引用なさいましたけれども、この前の上海の万博では梅屋庄吉の孫文に対する支援というのがありましたけれども、宮崎滔天、犬養木堂、それから我々福岡、玄洋社、頭山満、これ、懸命に命懸けで孫文を支援してきました。 そして、孫文の三民主義を含めて、孫文が言ったのは法治なんですね。
そして、覇権とか覇道、王道の孫文の演説も御引用なさいましたけれども、この前の上海の万博では梅屋庄吉の孫文に対する支援というのがありましたけれども、宮崎滔天、犬養木堂、それから我々福岡、玄洋社、頭山満、これ、懸命に命懸けで孫文を支援してきました。 そして、孫文の三民主義を含めて、孫文が言ったのは法治なんですね。
意見や立場が異なっていても、話せば分かるという犬養木堂さんの教えに思うところはないのか。問答無用ですか。答弁をいただきたい。 小泉さん、あなたの姿勢で一番残念なことは、どうせ答弁してもあなた方は反対なんでしょう、だったら時間の無駄というあの態度です。民主主義は単なる形式ではありません。精神なのです。これだけ我が国の内外に問題が山積しているのに、短い会期になったことを極めて残念に思います。
話せば分かるという犬養木堂氏のお話をされましたが、昭和七年五月十五日でしたか、その犬養首相も話せば分かると言いながら暴漢に撃たれて命を落とされました。話せば分かるということを言っても分からない人がおりますが、また分かろうとしない方もおりますが、できるだけ分かるように説明するよう今後とも心掛けていきたいと思います。(拍手)
先生がこの思想に到達したのは、犬養木堂先生暗殺の翌年、昭和八年で、咢堂先生、実に七十五歳のときであったと「咢堂日記」に書かれております。先生は、爾来、国政に参加し続け、昭和二十八年、九十五歳に至るまで、議政壇上で縦横無尽の活躍をされたのであります。
をどういうふうに価値あるものにして、これが今生きていらっしゃる方々の資産に悪影響を及ぼさないような、また人命に悪影響を及ぼさないような、身体に危害を加えることのないような川に仕立てていくために、私は純粋に、建設省の皆さんと相談をして、そして、登山口が違う、御殿場口、吉田口、富士山に登る道は、入り口は違っても、私は同じことを考えていらっしゃるのが住民の皆さんではないかと思いますので、話せばわかる、犬養木堂
原敬とか、犬養木堂とか、財界人も殺された。これがやはり日本の進路を大きく曲げることに影響しているわけですね。本当に、あのころの良識派が生きておれば日本はあそこまで行かなかったのじゃないか。日本もこれからいろいろな問題が起こってくる。
あるいは犬養木堂先生というのはやはり岡山の人が地域の誇り。あるいは戦前において齋藤隆夫というふうな、反軍演説をあえてあの時期にやった方は兵庫県の北の豊岡というところから、我が党の誇り、我が郷党の誇りとして出してきた。こういう心情というのは、特に日本人には隣を配慮するということで、非常にすぐれた立派な人を選ぼうではないか。
過日、三木睦子御夫人が見えまして、三木環境庁長官のときにこの額をかけていたんだということで、王義之先生の流派である犬養木堂先生と三木武夫先生、この二人だけが中国のその流儀をくんでおられる書体でありますが、その額をちょうだいいたしました。「水深クシテ魚楽シミヲ極メ林茂リテ鳥帰ルヲ知ル」、この一句を今また長官室にかけましてみずからを斎戒沐浴して頑張っておる次第でございます。
私の郷里、岡山の生んだ政治家、犬養木堂先生の遺訓に、「一年之計 不如樹穀 十年之計 不如樹木 百年之計 不如樹人」というのがあります。一年を単位に考える場合には食糧政策が重要であり、十年を単位に考える場合には造林政策を重視しなければならない。人づくり、すなわち教育は百年を単位に考える最も重要な問題であることを教えているのであります。教育はまさに国家百年の大計であります。
犬養木堂先生もおりますし吉田茂先生もある。みんなそれぞれの歴史を持っておる。 韓国においてもあるいはフィリピンにおきましても、その他のアジアの諸国においてもあるいは北朝鮮においても、みんなそういう努力をおのおの懸命にしているんだろうと私は思っております。
そこで、昨年のこの国会で二回にわたる総理とのやりとりがございまして、この中で総理の言い分では、ここに議事録がございますが、時間の関係でこまかく読み上げませんけれども、民主主義政治の世の中なんで、話せばわかるということをかつて犬養木堂さんがおっしゃった、まさにそれと同じでこの問題は話せばわかる、したがって私としては話をつけます、こういうふうにおっしゃった。
参観者にはいいでしょうが、私はむしろ憲政の功労者――尾崎さんはだんだん充実しておるのですが、たとえば犬養木堂、河野廣中、島田三郎というような偉大なる功労者、さかのぼれば明治の三大功労者である大隈重信、伊藤博文並びに板垣退助のこともしっかりした資料をそろえていただきたいと思うのですが、こういう憲政功労者の表彰並びに憲政史の発展というようなことについてはどういう具体的な準備をしておりますか。
○加藤(清)委員 私が犬養健さんのことを申し上げましたら、犬養木堂を想定したとおっしゃる。余裕しゃくしゃくでございます。ぜひひとつ、犬養は犬養でも、子供さんの犬養にならぬように、おとうさんの犬養さんになっていただきたい。あなたはそれになる資格を十分持っておるお方だからでございます。
憲政の大先輩の犬養木堂が書いた書に、宋の時代の名句があるのです。これがちょうどいま沖繩交渉に当たる佐藤総理大臣に呈するには最もいいし、あなたに呈してもいいです。こういう五言ですな。「位無くして事を立つるは難く、時に逢うて功を建てるは易し。全きを求めて自ら有るは殴る。大を挙げんとすれば須く略は細たるべし。」こう書いてある。
生来の理想主義的な気質と抜群の学識に加えて、犬養木堂氏、尾崎咢堂氏らよき先輩の薫陶を受け、先生の活動は、早くも同僚議員の注目するところとなりました。普選運動に奔走し、治安維持法制定反対の先頭に立ち、また、陸軍機密費事件の追及には、身命をかけられました。
けれども、犬養木堂以下たとえば私があげる次のような人々、島田三郎、木堂はもとより、河野盤洲、大竹貫一、鳩山一郎先生のおとうさんの鳩山和夫というような人の事績は額一枚で、一般の国民の目には触れない。
したがいまして、河野建設大臣がせめて、国土計画、道路の対策、住宅問題に対して、そう長くない在任期間にすべてはできませんけれども、軌道だけを明らかにしておいていただくならば、国民の信望は集まり、もう、かつての犬養木堂や尾崎咢堂先生のような風格のある政治家はどうせ望めそうもありませんが、池田さん程度の人が総理になったんですから、それよりはるかに風格もあり能力もある河野さんが総理になるのは、私は時の問題であろう
私なんか学生時代、清瀬一郎といったら、非常に剛直の士、清廉の士、しかも当時の国民党に属して、犬養木堂の傘下で非常に秀才の誉れが高かった。私は若い秀才、老いては駑馬とは言いません。あなたは老いてますます秀才で、さえておられると思う。
それだからこそ、あのおくれた憲法の中にも、護憲運動によって尾崎咢堂とか犬養木堂とかいうふうな人は、明治憲法の中における民主主義要素を守ることができたわけですね。それは憲法の解釈は非常に明確なんです。天皇だけが発議権を持っている。これは内閣にあるなどと言ったら、しばしば軍閥的な独裁政治家が出たのであるからして、何をやられたかわからない。東条英機といえども完全な軍閥独裁を実現できなかったのです。
当時犬養木堂氏が逓信大臣をやっておりましたが、郵便貯金の通帳の原簿がほとんど焼かれたような事態が起った。このとき犬養木堂氏はたしか、預金者は申告しろ、その申告通り支払いをしろ、こういう通達を出した。ところがこれに対して部下の属僚は、そういうことをやったら非常に不正をやる人があるのじゃないか、そういうことをやったら大へんなことになるのじゃないかと言って注意をした。
(拍手) 鳩山さん、あなたがかつて文相であったころに、犬養木堂翁と対談されて、スポーツマンシップを語り、スポーツの真剣さについて、フェア・プレーと友情について語っていられたのでありますが、現在でも当時のお気持にお変りはないか。きのうも、記者会見で、選挙はスポーツのように気軽にと語っていられるのでありますが、これはよろしい。